フレデリック FREDERHYTHM TOUR 2019 ~VISION編~ @Zepp Osaka Bayside 2019/12/14

※本記事には現在進行中のツアーのネタバレがございます。この先の閲覧は自己責任でお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は2月にフルアルバム「フレデリズム2」、更に10月にはEP「VISION」をリリースしたフレデリック。それらの作品を引っ提げ、1年を通して組まれたツアーのスケジュールはSEASON1~5に割り振られるという大規模なものに。それぞれのSEASON間にブランクはあったものの、それも春フェス、夏フェス、冬フェスで埋まったので、結果としては1年間ライブ尽くしで過ごしてきた。
今日はそんなSEASON4のファイナル公演。2019年、ひいては2010年代最後のワンマンであり、今日のワンマンを終えたら来年はいよいよ大舞台の横浜アリーナに立つ。つまりこの1年の完成形に限りなく近い形の彼らを見れるということで、否が応にも期待値は高まるばかり。

開演時間を少し過ぎて暗転すると、ステージ各所に配置されたモニターに彼らの楽曲が断片的に流される。続いて

「フレデリズムツアー、始めます」

の声が響くと、大歓声に迎えられてメンバーが登場。早くもお立ち台の上に立ち、満員の会場を見渡す三原健司(Vo,Gt)は威風堂々とした風格を漂わせている。彼らのことはメジャーデビュー前から動向を追い続けていたが、いつの間にこんなに頼もしい佇まい をするようになったのか。
SEが止むと同時に健司が合図を出すと、後方のスタイリッシュなオブジェに「VISION」の文字が浮き上がり、オープニングナンバーは「VISION」。色とりどりのレーザーが飛び交う様は、無数の扉をくぐり抜けて未来へ突き進んでいくというEPのアートワークと通じる部分感じさせる。この視覚的演出がフレデリックの持ち味だ。

続いて赤頭隆児(Gt)の鋭いカッティングに歓声が上がる「シンセンス」。フレデリックのライブにおいて締めとしても着火材としても重要なポジションを担い続けている曲だが、この曲は特に高橋武(Dr)の刻むビートがいい。四つ打ちのバスドラムは一発一発がズンズンと重く、高揚感を引き立てる。三原康司(Ba)のうねりまくるベースラインもそうだが、やはりフレデリックの地に足のついた演奏力はこの二人の力が大きいのだとあらためて感じさせる。
そんな「シンセンス」を口火とすると、「パラレルロール」、「逃避行」とほぼシームレスに楽曲を繋ぎ合わせていく様もまた、フレデリックにしか作り得ない流れ。大阪のライブハウスの中でも特に僻地にあるZepp Osaka Baysideは、「逃避行」の世界観と相性もバッチリだ。

短く挨拶をすると、またしてもシームレスな展開が続く。

「大事なことは本人に言えよ」

のフレーズにハッとさせられる「トウメイニンゲン」から地続きの疾走感で「リリピート」、そしてダウナーなイントロから
「今この瞬間を この瞬間を待ち望んでいた」

と我々の思いを代弁するかのような「シンクロック」と、リリースされた時期はバラバラだが、まるで最初からこの3曲がセットでCDに収録されていたのでは?と疑いたくなるような歯車の噛み合いっぷりだ。

一旦ブレイクダウンすると、横ノリのリズムが気持ちいい「ナイトステップ」からは「NEON PICNIC」とディープな楽曲でフレデリック流のサイケワールドへ。以前、レーベルメイトでもあるTHE ORAL CIGARETTES山中拓也

「ミドルテンポの曲で勝負できるようになったら強いと思う」

と発言していたが、今のフレデリックはまさにデビュー当時のダンスロック最盛期の波を越えてこのスタイルを定着させていった感じがする。というか昔からこういうサイケな曲は結構やっていたのだが、それらを「ダンスロック」と一括りにせずに自分たちの流派を貫いてきた結果だろう。

再び健司がハンドマイクになり、フレデリック史上最も歌謡的な部分が強く出ていると感じる「対価」で前半戦は終了。MCでは4人全員にマイクが回されるのだが、

「おかえり~!」

の声を強く求める健司、根拠のない自信を主張する康司、LINE LIVEを配信しているということでカメラに向かってキメ顔をする赤頭(彼はZepp Osaka Baysideを「ポケストップがたくさんあっていい場所」とポケモンGO目線で語っていた)、新しくなったハイハットについて熱弁する高橋(高橋いわく「ミドルレンジがよく出る」とのこと)と、4人とも喋り出すとやっぱり関西人なのだな~と感じる。フェスではこういったMCを一切挟まないだけに、ワンマンならではの貴重な時間だ。

「今回VISION編ということで4箇所のZeppを回ったんですけど。前半のセットリストは固定で、後半のセットリストはそれぞれメンバー1人ずつ考えてきたセットリストでやってきたんです」

と語った健司。そしてファイナルとなる今日のライブの担当は高橋。

「リズム重視の流れになってるかも」

と予言した後半戦は「スキライズム」で再開。EDMチックなエッセンスを感じる「LIGHT」では途中にソロ回しが用意されているのだが、高橋のドラムソロは

「いい音だからいつもより多く叩いてる」

とMCでも熱く語っていたハイハットをフル活用。というかハイハットしか叩いてなかったのだが、それでもちゃんとソロとして成立させるのは流石。
先程のMCもそうだが、以前、彼はドラムマガジンで盟友である04 Limited SazabysのKOUHEIのドラムを理論的に解説していた。そういうドラムに対してのヲタクっぷりがそのままストイックな姿勢に通じているのだろう。

やはり音は繋げたままで「他所のピラニア」へ雪崩れ込むと、

フレデリックのライブはすごいってこと見せてやりましょうよ!」

と煽って必殺ナンバー「オドループ」へ。もうこの会場にいる人で歌えない人はいないだろうという感じのシンガロングっぷりだし、カスタネットのパートでリズムよく起きる手拍子はバンドの音が止まっても完璧。横浜アリーナで歌ったらすごいことになってしまいそうだ。

まさにオンリーワンな存在のフレデリックが歌うからこそメッセージが強く響く「オンリーワンダー」を経て、

「本日はありがとうございました。我々は進化し続けていくバンドですので!最後は新曲で終わろうと思います」

と夏フェスから鍛え上げてきた「イマジネーション」が本編ラスト。「VISION」よりも更にBPMが下がり、音数も削ぎ落とされたソリッドなナンバーだが、音源通りには終わらず長尺のセッションパートへ突入すると、高橋のドラムは更に激しさを増し、そんな演奏に合わせて照明も激しくなってくる。さながら極彩色の時空を高速で駆ける、未来行きのタイムマシンに乗っているかのようだ。
さらに健司が

「声を聴かせてください!」

「さあ イマジネーション」

の部分でシンガロングを要求。完全に夏フェスでこの曲を聴いたときとはイメージが全く違う。こんなに熱量のこもった楽曲だったのか。
最後は両端から幕がステージを包んでいき、完全にステージが見えなくなったタイミングで演奏はフィニッシュ。そして真っ白な幕に「FRDC」のロゴが浮かび上がる、という鮮やかな終幕。改めて彼らが進化し続けていることを照明して見せた。

鳴り止まないアンコールに応えるように、レーザーで照射されたロゴが

「FAB!!」

の文字に変わると、ゆっくりと幕が開いた先には横並びになった4人が座っている。そうして歌い始めたのは「VISION」。FABとはFrederic Acoustic Bandの略称で、つまりこの「VISION」はアコースティックバージョンで披露された。こうして聴くとやはり健司の歌声はどこまでも突き抜けていく爽快感があるし、高橋がカホンとかではなくパッドを駆使しているのがいかにもフレデリックらしい。

「ライブの中で自分達の楽曲をアップグレードしていきたいと考えた結果、この編成になった」

と健司は語る。そしてさっきまで放送していたLINE LIVEも既に終わっていることを告げ、ここからは会場に来た人たちのみのお楽しみということで、続いてもアコースティック編成で「夜にロックを聴いてしまったら」が届けられた。直前のMCと合わせて、まるで自分たちだけしか知らない秘密基地で演奏されているかのような占有感を感じるし、「夜」というこの曲のシチュエーションにもバッチリ合っている。

通常のバンドスタイルに戻ったところで、本当のラストは

「大好きな音楽を思い浮かべて聴いてください。それがフレデリックの音楽じゃなくてもいいから」

と前置きされた「終わらないMUSIC」。ライブ中、健司は何度も

「音楽は好きですか?」

と語りかけていた。やっぱり彼らは音楽が大好きで、音楽から生まれるコミュニケーション、音楽から生まれる想像力を本当に大切にしているバンドなのだな、と改めて感じたし、ここに集まった人やLINE LIVEを見ていた人たちは音楽が好きなことをわかっていて、だからこそ自分たちのビジョンが伝えられるように切実にそれらと向き合っているのだなと実感した。音楽を愛し、音楽に愛されたバンドとは彼らのことを指すのだろう。

冒頭と同じく「MUSIC」の文字が後方に浮き上がった所でライブは終了。これにてライブ尽くしだった1年、ひいては10年代のライブを総括した彼ら。
もはや完全形態と成り得たような凄まじさを見せつけた一夜だったが、彼らは短い期間でもライブや楽曲をアップグレードさせ、ライブ中すらも進化しているバンドだ。一体来年の横浜アリーナはどうなってしまうのか。

SUPER BEAVER『都会のラクダ ″ホール&ライブハウス+アリーナ″ TOUR 2019-2020 ~スーパー立ちと座りと、ラクダ放題~』 @神戸ワールド記念ホール 2019/11/30

※本記事には現在進行中のツアーのネタバレがございます。この先の閲覧は自己責任でお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年はライブMVも公開しつつ、春先からひたすらツアーしまくっているSUPER BEAVER。3月からライブハウスもホールも回ってきた今ツアーは、今日と明日に神戸ワールド記念ホール、来年初頭に代々木体育館でのアリーナクラスのワンマンを迎えて完走となる。武道館以来の大きなハコでのワンマンとなる神戸ワールド記念ホールでのライブは、彼らにとって今年最後のワンマンだ。

 

厳かなワインレッドのカーテンを後ろに控え、開演時間になるとオレンジの後光に照らされながら4人がステージに登場。柳沢亮太(Gt)の爪弾くギターに合わせて渋谷龍太(Vo)がゆっくりと

 

「一寸先が何なのか 一体明日がどうなのか

一瞬なんて一瞬で 考える間もなく過ぎ去ってく」

 

と「世界が目を覚ますのなら」が始まる。その歌声にバンドサウンドが合流すると、一気に視界が開けてステージ両脇のスクリーンに4人が映る。上杉研太(Ba)はじっくりとメロディを支える渋いベースを弾き、藤原"31才"広明(Dr)は時折笑顔を見せている。

 

「ようこそ神戸!ようやく来ることができました!」

 

と渋谷が勢いよく挨拶すると、始まりは「青い春」から。サビ前の手拍子を満足そうに受け止めながら

 

「歌おう!」

 

とシンガロングを求める。バンドが120%で演奏すればお客さんはそれ以上で返してくる。この熱量のキャッチボールが彼らのライブならではだ。

フェスとかでやると渋谷がシーッと口をつぐむように指示することもある「閃光」も、やっぱりワンマンだからしっかりと静寂の空間が生まれ、それによって激しい演奏とのコントラストが際立つ。紆余曲折はあっても彼らにとって15年はあっという間だったんだろうな、とこの曲を聴くと思うし、自分も何か今すぐアクションを起こさなければ、と奮い立たせられる。

 

「今日を楽しみにしてきた人がこれだけいるんですよ!柳沢くんよろしく」

 

とテンションを持続させたまま柳沢の踊るようなギターが耳を引く「ラブソング」では、普段クールな演奏をしているというイメージがあった上杉がお立ち台に立って「俺が手本だ!」と言わんばかりに目一杯ハンドクラップをする。ビーバーの楽曲を手がけているのはほとんど柳沢だが、その楽曲を伝えるためのアツさをバンド全員が共有しているということがよくわかる。

 

「皆さんまだまだ体が硬いようですね!今から神戸をダンスホールに変えますんでしっかり体を動かしてください!

いいですか?ダンスホールの条件はただ一つ。全員が踊っているということです!」

 

と「irony」の跳ねるビートで会場を温め切ると、そこに「正攻法」をぶち込むという秀逸な流れ。ここからは赤いカーテンが降りて鉄骨と照明が剥き出しになったステージ後方に4面のスクリーンが現れ、それらが上下に動きながら時にビジュアライザーとして、時に歌詞をでかでかと叩き出す役割で機能し始める。アリーナならではの演出だし、遠目に見ると「おお、アリーナワンマンっぽい」となるのだが、こういう演出がなくても彼らのサウンドは既にアリーナクラスの会場を掌握する力を持っていることがここまでで十分に伝わってきている。

そのビジュアライザーがバスドラムの四つ打ちと同じビートを刻み出すと、

 

「わかってると思うけどな。束になってかかってくるな、お前一人でかかってこい!」

 

と「秘密」では再びシンガロングを巻き起こす。皆が声を上げるのではなく、一人一人が思い思いの声を上げ、叫び、幸せに手を叩き笑う。彼らのライブはいつだってこうして心をさらけ出してもいいと思えるほど間口が広くて、温かい。

たまたま持ってきたパンツから数年前のCOMIN'KOBEのリストバンドが出てきたという渋谷。今年こそ神戸ワールド記念ホールでやるのは難しくなったカミコベだが、今もなお全国から志をもったバンドが集う場所なのは変わらないし、ビーバーもその一員としてずっと神戸でライブをし続けてきた。

 

「新しい出会いも増えたけど、志半ばで辞めていった人も、もう会えなくなった人もいる」

 

というMCはきっとそんなカミコベの首謀者である松原裕氏のことも指していただろうし、15年目で始めてのアリーナワンマンはきっと彼にも見てもらいたかったことだろう。

そんなMCを経て始まったのは「まわる、まわる」。インディーズに移って以降、彼らはそれまでのほとんどの楽曲に自ら決別を下してきた。そんな彼らが今こうしてメジャー時代の楽曲をやったことについて、渋谷は

 

「時間がたてば昔の曲も受け止められるようになってきた」

 

と語っていた。まさに、

 

「時間が解決してくれる」

 

その言葉通りだ。

ここで多少のごたごたがあったものの、観客を一度席に座らせて(今日はアリーナもスタンディングではなかった)落ち着いた雰囲気で「your song」、「人として」を披露。ツアータイトル通り、立ちだけでなく座りのスタイルでも楽曲の魅力を引き出してみせた。キャッチボールばかりでなく、一人一人が曲を受け止めてそれぞれの形に還元するという作業が丁寧に行えるのがこの座りの時間だったのだろう。

 

中盤のMCではメンバー一人一人に話してもらうつもりが、藤原だけ忘れ去られる展開に。そんな藤原を含めて3人が

 

「気持ちいー!」

 

とアリーナに大声を響かせると、渋谷も負けじと

 

「夢叶えさせてもらっていいですか?」

 

とワクワクした表情で話し、

 

「アリーナ~!」

 

と叫ぶという自らの夢を叶える。明日も同じ会場でワンマンがあるが、これをするのは今日限りだとのこと。そんなお茶目な振る舞いが繰り広げられた後は藤原のパワフルなドラミングから轟音を炸裂させ、「歓びの明日に」から後半戦の火蓋を切ると、

 

「一歩踏み出す勇気を与えたいと思います!」

 

とここで再びビジュアライザーが発動して「予感」のダンサブルなビートでアリーナを揺らす。昨年にリリースされた曲ではあるが、15年目のバンドが作ったとは思えないほどフレッシュな無邪気さや無鉄砲さに溢れている。それはこのバンドの生き様そのものが楽曲に体現されているという証拠だろう。しかしこの曲、よく聴くとどのパートもそれなりに難しいことをやっている。

渋谷がスタンドマイクの前に陣取って歌う渾身の「27」は、最新アルバムの楽曲ではないながらも今年の彼らを引っ張っていった楽曲だったといえる。それは年始にMVが公開され、CMソングに抜擢されたという背景もあっただろうけど、やっぱりバンドが今この曲を届けたいと本気で音を鳴らしているからこそでもあるだろう。

 

「ロックスターは死んだ」

 

と歌う渋谷は、風貌だけじゃなく存在感まで、紛れもなくロックスターだ。

 

ここでステージ上部の照明が降りてくると、客席側を照らすように斜めに傾き、その先頭にミラーボールが降臨する。となれば次の曲はもちろん「東京流星群」だ。

 

「見える?」

 

と渋谷は問いかけていたが、ミラーボールが見たこともないほどの光を反射し、流星群を降らせていた一瞬のシーン、もちろん見えていたとも。

3年前に某冬フェスで彼らを見たときもこの曲をやっていたのだが、ボーカルが籠もりすぎてどんな言葉を叫んでいるのかわからなかった。でも今ははっきりと聴こえる。一人一人の声が星を降らせている。

 

「今日の歓声を絶対に忘れません!」

 

と渋谷は叫んだ。自分も絶対に忘れないと思う。

 

「何のために生きてるのかなんて答えられる人はいないと思うし、俺も何で歌っているのかちゃんと説明できない。でも今日みたいな日のために歌ってきたんじゃないかなって、そう思います」

 

と満員の会場を見渡した渋谷は

 

「あなたは俺たちが歌う理由です。俺たちがステージに立ち続ける理由です。これからもかっこいいバンドであり続けますので安心してついてきてください」

 

と締め括り、「全部」を届けた。こういう大事なことを包み隠さず、背伸びせずに真摯に伝え続けてきたことが、一度はゼロからのスタートを切りながらもバンドがアリーナ2daysを売り切った結果に繋がったんだろう。

 

自分もそうだが、今日この会場にいる人で彼らをメジャーの頃から応援していた、という人はきっと少ないだろうし、きっとここ数年で知ったという人ばかりだろう。だけど、そんな人たちにも積み重ねてきた言葉が響いている。端から見れば遅咲きのバンドだと思われがちだが、これまでの15年の全部が今のビーバーの楽曲を築き上げているのだ。

 

そんな万感の最中で、最後に鳴らされたのは「美しい日」だった。今日までの道のりが最短だったとは微塵も思わないけど、こうして誰もが美しい日を噛みしめいている。そんな瞬間に立ち会えたことを思うと、やっぱり自分は彼らに出会ってよかったな、と思うし、自分ごときが彼らの歌う理由になるのなら、人生捨てたもんじゃないよな、とも思うのである。

 

「秘密」のシンガロングが交錯する中でアンコールとして再び登場した4人は開口一番、

 

「次のアンコールの1曲が終わったらまたそれぞれの人生です。でもその道が太くなったり細くなったり、危うくなったり安全になったり、その先でまたこうして会えたらいいなと思います」

 

「俺らの曲はあなたには届くけど、あなたの大切な人にまでは届かない。そういう風にできてるから。だから後は任せたぜ」

 

と告げ、「ありがとう」へ。常に大切なことは素直に言葉にしてきたバンドだからこそ、そんな彼らが歌う

 

「ありがとう」

 

には本当に説得力がある。今日集まった人たちの、それぞれの大切な人にこの言葉が伝わっていけばいいのにな、と思いを馳せたくなるし、自分も身近な人たちのことを思い浮かべてしまう。そんな想像力を掻き立てる力がこのバンドにはあると、改めて思い知らされた。

 

アリーナ公演はまだ3つ残っているけど、最初のアリーナ公演は今日が最初で最後。そんな一日をあくまでもこれまでの延長線上に置きながら、そのスケール感を見せつけてみせた2時間だった。

今日のライブを見る前は、数年後の彼らはアリーナツアーでも十分やっていけそうなバンドだな、というイメージを持っていた。でも今日のライブを見ると、やっぱり彼らはライブハウス育ちで、ライブハウスで生きていくバンドなんだな、と改めて思えた。アリーナツアーなんてでっかいことは求めなくていいのかもしれない。次はライブハウスで。

蒼山幸子presentsはじめのひととき @梅田Shangri-La 2019/11/18

今年7月のラストツアーをもって活動に幕を下ろしたねごと。解散後、メンバーはそれぞれ別の道へ歩み始め、そのフロントマンである蒼山幸子もまた、ラストライブから間もなくソロでの活動を始めることをアナウンス。まずは先週の東京に続き、今日の大阪でのツアーを発表していた。
ねごと時代から弾き語りでイベントに出演したりすることは何度かあったが、本格的なソロでのワンマンは東京に続いて初めて。さらに今回はバンド編成だ。
ねごとは4人が大学生だった頃からずっと追いかけてきている。「5」をリリースして何とか4人とも大学を卒業できたこと、5周年ワンマンをスペシャの生中継で最初から最後までぶっ通しで見続けたこと、「アシンメトリ E.P.」からエレクトロという新しい武器を鮮やかに操り始めたこと…思い返せばたくさんの思い出がある。だからこそ解散は寂しかった。けれどこうして歌うたいを続けてくれていることが本当に嬉しい。

梅田Shangri-Laは2つのシャンデリラがフロアを彩る独特なライブハウスなのだが、開演時間を迎え、そんなシャンデリラが幻想的な青色に照らされる中でサポートメンバーに続いて蒼山が登場。さっそくキーボードの前に腰かけると、このツアーの会場限定で販売しているソロ初の音源「まぼろし」の表題曲でもある「まぼろし」からスタート。

「雨の音で目が覚めた」

という言葉から始まる曲だが、この日の大阪は雨予報。まさにこの曲にぴったりなシチュエーションの中に、蒼山の神秘的な歌声が響く。その瞬間に、これは「ねごとの蒼山幸子」の歌ではなく「蒼山幸子」としての歌なのだと気づかされた。知っているようで知らない、懐かしいようで新しい感覚。そんな事実を肯定することも否定することもなく、バンドの音が合流してくる。もちろん演奏しているのは沙田瑞紀でもなく、藤咲佑でもなく、澤村小夜子でもない(余談だがこの日は瑞紀も梅田の別のライブハウスでライブしてた)。

続いて蒼山はキーボードの音を打ち込みに任せ、ハンドマイクになって「バニラ」へ。初期のねごとを思わせるアップテンポかつストレートな楽曲だし、ドラムのフレーズの断片からもねごとの面影が漂うのだが、やっぱりねごと時代とは空気が違う。蒼山幸子の曲だ。

「東京はみんな見守ってくれてる感じがして、それはそれで初めてって感じでよかったけど、大阪はノリがいいですね!」

と蒼山は話していたが、バンドの演奏はやはりまだまだ様子見という感じが強い。しかしそういうのも含めて、ここから新しい道を始めていく、という前向きな気持ちを4人から感じとることができた。

「戦う女子のための歌」

と紹介されて始まったのは「ミューズ」。そういえばねごとの頃はこういうフェミニンな曲はほとんどやってなかったよなあと思い出す。この曲を今回音源にしたということは、ねごととは違ったことをやっていくという意思表示の現れだろか。ねごとの頃と同じく、今日のライブも男性の占める割合が圧倒的に多かったのだが、こういう曲を機に女性のお客さんも増えてほしいものである。

「出番前に4人で難波のパンケーキを食べに行った」

と前置きされて紹介されたバックのスイーツ男子達。ここで初めて気が付いたのだが、ギターを担当しているのはシナリオアートのハヤシコウスケ。こんなにモサい雰囲気の人だっただろうか。ギターだけでなくPCも操り、今回のEPにもディレクションとして参加していたりと、蒼山のソロワークの片腕的存在である。ベースは北原裕司。蒼山からは

「スタジオとかでフレーズを褒めると恥ずかしくなって弾かなくなったりする、扱いの難しい人」

と紹介されていたが、「キー坊」とも呼ばれる彼の穏やかな人間性はこの4人の空気によく合っているし、ベースの腕前は確かだ。ドラムの岡田夏樹はドラマーらしく包容力のある雰囲気ながら、今日のライブでシャツを着るために9キロも痩せたというストイックさを併せ持っており、チームから信頼されている感じが伝わってきた。
やっぱり元々バンドをやっていた人がソロに転向したりすると、元のバンドのメンバーでこの曲をやったらどうなるんだろう、と無理のある想像をしてしまいがちだ。でも蒼山自身が選んだ3人だから、自分やファンにできることはこれからも温かく見守っていくことだろう。

続いてEPには未収録の新曲「夏の南極」が届けられる。タイトル通り夏の曲なのに、涼しいを通り越して凍てついているような雰囲気は、やっぱりこの人が作る曲はどこか陰りがあって、どうも明るくはならないことがよくわかる。
ここでバンドメンバーがいったん退場し、ステージに蒼山が一人きりになると、弾き語りのゾーンへ。イントロから拍手が起こったのはねごと時代の「ふわりのこと」だ。ソロで活動する前から弾き語りライブでもやっていた曲だが、やっぱり聴く度にいい曲だなあ、と思うし、これからもねごとの曲も歌い続けてほしいなあ、とも思うものだ。
次の「水中都市」もねごと時代の楽曲。オリジナル音源はまさに海の底に沈んでいくようなディープなサウンドが没入感を生み出していたが、そのような感覚がシンプルな弾き語りになっても残っていたことに驚いた。ファルセットを多用する蒼山の歌が持つ表現力の高さはやはり折り紙付きだ。

再びバンドメンバーが合流し、タイトル未発表の新曲では

「後ろ指さされても 信じられる光の方へ進むの」

と力強いフレーズが響く。こういう力強さも含めて、彼女の歌や佇まいは可愛い、とか美しい、というよりは、凛とした、という形容詞(形容動詞?)の方がよく似合うし、何者も汚すことのできない清廉さを湛えている。次の「鳥と糸」もそんな感じのナンバーだ。
「silence of light」を経て、MCではねごとのラストツアーからそれほど時間をかけることなく大阪に戻ってこれたことを喜びつつ、

「ソロでやっていこうというのは決めてたけど、具体的にどんな活動をするのか何も考えてなかった。今回のEPも、ねごとらしさとか蒼山幸子らしさというよりは、いま作りたいものを作った感じです」

と初めての音源について語った。10年以上続いたバンドに幕を下ろし、再びナチュラルな心に戻った彼女はこれからどんな歌を紡いでいくのだろうか。でも今日集まった人たちならば、「ねごとらしさ」とか「蒼山幸子らしさ」をわざわざ求めなくとも、彼女が歌えば唯一無二の楽曲が生まれる、ということを知っているのではなかろうか。

「ベイビー 僕は明日がこわい」

とラストの「セブンスヘブン」ではそんな彼女の抱える不安が歌われているが、今の彼女はどうなのだろう。まだ東京と大阪でしかワンマンをしていないし、まだまだワンマンをやるには曲数が少なすぎるけれど、こうして平日の夜にたくさんの人が集まってくれた。きっと一人一人の存在が彼女にとっての勇気になったのではないだろうか。我々の夜が彼女の作った曲によって、優しい夜になっていったように。

もう既にEPの収録曲は全部やっていたし、正直アンコールはないだろうと勝手に思っていたが、4人は物販のTシャツに着替えて再登場。EPには未収録の「スロウナイト」を最後に披露した。ここまで聴いてきた彼女のソロ楽曲の中でも、最もねごとの延長線上に近い曲だったし、やっぱり彼女には夜が似合うなあ、とも感じた。

最近に集中した話ではないが、やはりバンドもアーティストも生物であるので、いつ活動が止まるのかわからない。ねごともまた、「SOAK」という成熟しきったアルバムをリリースし、これからどんどん深化していくのだろう、といった矢先での解散となってしまった。その度に永遠はないのだと思い知らされるし、だからこそ今の瞬間が美しい、ということを同時に思い知らされる。
でもこうして、形は変われど歌を歌い続けてくれることが本当に嬉しいし、やはり彼女の歌は他の誰にも替えの効かない存在であるということを、自分だけでなくたくさんの人が知っている。だからこれからも歌を歌い続けてほしいし、いつだって彼女が歌えば、今夜は優しい夜になってゆくのだ。

NICO Touches the Walls 終了によせて

https://natalie.mu/music/news/355543

初めて彼らの存在を知ったのは2012年、夏。スペシャで見た「夏の大三角形」だった。

「3秒間 君に見とれて いま全力で恋してる夏の大三角形

というサビに一瞬で惹かれた。
当時の自分はMステが主な情報源で、地上波から流れるJ-POPが全てだと思っていた。J-POPは歌詞がわかりやすい。テロップとして流れるくらいだから、歌詞をなぞれば一聴しなくてもどんな曲なのかわかる。
そんなわかりやすい曲ばかり聴いてきた自分は、この曲に度肝を抜かれた。いま全力で恋してる夏の大三角形って何だ?と。比喩にしてもわかりづらい表現だ。
でもなんかいい。
気づいたらその年の夏はこの曲ばかり聴いていた気がする。
TSUTAYAでシングルもレンタルしてきた。カップリングの「夕立マーチ」の歌詞に

「女子高生の白いブラウスが透けてる」

という一節があって、思春期真っ盛りだった自分は夕立後のそんなシチュエーションを想像してドキドキしたりしていた。「ラッパと娘」は原曲も知らなくて当時は聞き流していたけど、この当時はNICOのアレンジ力の凄さにはまだ気付いていなかった。
NICO Touches the Wallsとの出会いはそんな感じだった。

https://m.youtube.com/watch?v=bT2z6tWRdc0

2013年。彼らは「夏の大三角形」をも越えんとする名曲を生み出した。「Mr.ECHO」だ。

「繰り返そう どんな光も 跳ね返してく強さで」

凛とした力強い歌詞、感情のこもった古村のギターソロ、今でもこの曲を聴くと自然と涙が出てくる。たくさん勇気をもらった。

https://m.youtube.com/watch?v=tSRd11Wmte4

「Shout to the Walls!」もたくさん聴いた。「鼓動」や「ランナー」は今でもカラオケでよく歌ったりしている。
7月には「ニワカ雨ニモ負ケズ」をリリースしていたが、MVにバレリーナが登場していたのを「似合わない」と散々に言われていたのも懐かしい。

https://m.youtube.com/watch?v=GEhOPFbTERY

2014年。この年のNICOは「リベンジ」をテーマにしていて、武道館にも立ったりと、とてもギラギラしていた。かっこよかった。

「何回変わってやるって誓ったんだよ」

と繰り返す「天地ガエシ」にもたくさん助けてもらった。今でも大事な一曲だ。
あと6月にリリースされた曲なのにMVの背景に思いっきり桜が映っているのにツッコんだりしていた。

https://m.youtube.com/watch?v=nWnePUo6c-w

年末には初めてライブを見た。やっぱりライブでのNICOもかっこよかった。でもカウントダウンイベントだったから、聴けたのは7曲ぐらい。たくさん聴きたい曲はあった。物足りなかった。

そう言えばNICOは「手をたたけ」では宙ぶらりんにされたり、「まっすぐなうた」では爆走するトラックの上で演奏していたり、「ローハイド」では森で変な生き物に追われたり、「TOKYO Dreamer」では光村がマリオネットをやったり…と、やたらと身体を張ったMVが多い気がする。そんなMVの一つ一つもたくさん楽しませてもらった。

※手をたたけ

m.youtube.com/watch?v=MTcqIgVBfuk

※まっすぐなうた

https://m.youtube.com/watch?v=6_fDwHh31i8

※ローハイド

https://m.youtube.com/watch?v=akALF7vqJ_0

TOKYO Dreamer

https://m.youtube.com/watch?v=82_aGqrIcWc

2015年。まず彼らは「HOWDY!! We are ACO Touches the Walls」をリリースした。今でもお馴染みのACOスタイルで、自分達の楽曲をセルフカバーするというコンセプトアルバム。聴き慣れた曲のはずなのに、自由自在なアレンジを経て全く新鮮な輝きを放っていた。こうしたアレンジ力に関しては、今でもNICOの右に出るアーティストは存在しないと思っている。
この年は2回ライブに行った。一度目はコンセプトアルバムをリリースした時のツーマン、「ニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ フェスト」。UNISON SQUARE GARDENと対バンしていた。ライブハウスで見るのは初めてだったし、けっこうメンバーも近くてすごくドキドキしていた。
二度目は「まっすぐなうた」のリリースに際して行われた「まっすぐなツアー」。この日は高校時代に所属していた部活の引退の日だった。部活が終わり、みんなで思い出作りに花火をしようとしていた同級生や後輩を横目に、ただ一人オリックス劇場へ駆け足で向かった時のことは今でも覚えているし、「Mr.ECHO」をようやくライブで聴けたの感動したことも覚えている。

しかし、これがNICO Touches the Wallsをワンマンで見た最初で最後のライブだった。
それから自分は、何故かNICOのライブからは遠ざかっていった。音源はずっと追いかけていたのだが、大阪にライブに来ることがあっても「まあいいか」と見逃してしまっていた。
きっと短期間にたくさんライブを見た(当時の自分には半年で3回もライブを見るというのはけっこうなペースだった)ことで、「いったん離れよう」と無意識にNICOを遠ざけていたのかもしれなかった。

今あの頃に戻れるなら、昔の自分をあらゆる手段で説得しにいきたい。「好きなバンドは今のうちに見ておかないと後悔するぞ」と。

2016年。久しぶりにアルバム「勇気も愛もないなんて」がリリースされた。しかし収録曲のほとんどはシングル曲。光村はインタビューで

「シングル曲もアルバム用にミックスを変えたりしてるから、違いを楽しんでほしい」

と発言していたが、バカな自分には違いがよくわからなかった。でもNICOがアルバムをリリースしてくれるということだけで嬉しかったし、とことん生の楽器に拘っていた彼らが「フィロローグ」みたいな曲を作っていたのにはびっくりしたし、やっぱりアルバムは最高だった。
この年は年末に冬フェスでライブを見た。ライブを見るのは久しぶりだったが、やっぱり彼らは唯一無二のかっこいいバンドだと再認識できた。それでもワンマンに行こうとは思わなかった自分をぶん殴ってやりたい。

2017年。この頃からNICOはリリースのペースが落ちてきた。しかし、音源リリースまで約1年、ようやく到着した「OYSTER -EP-」はやっぱり最高だった。いつも通りのNICO盤と同じ曲をアコースティックアレンジしたACO盤の2枚組。NICOにしかできない芸当だと感じたし、NICOのフレッシュさと円熟味が同時に感じられたCDだったと思う。

この年のライブでは浅野尚志がバイオリンとして加わっており、「THE BUNGY」などをスリリングにアレンジする様は唯一無二だった。
彼らはSWEET LOVE SHOWERにずっと出演し続けており、自分はそのライブ映像を毎年チェックしていたのだが、NICOは同じ曲をやるにしても前の年と同じアレンジでやることはほとんどなかったと思う。それくらい絶え間なく変化を繰り返し、その変化の全てをNICOたらしめてきたとんでもないバンドだった。

2018年。この年もリリースは「TWISTER -EP-」のみ。音源もそうだが、光村がインディーズ初期のようなボサボサのロン毛になり、さらに金髪になっていたりと、アニソンを手がけていた頃とは真逆のどんどんニッチな方向に向かっていく彼らにやはり目が離せなかった。
そんな彼らの音楽への探求心が結実したのが、今年6月にリリースされた「QUIZMASTER」だった。

「何度も夢を見るよ 信じてたいんだ」

という前向きな歌詞とは相反してどこか陰のあるサウンドが印象的なリード曲「18?」をはじめとして、このアルバムはどん底から希望を見据えているような閉塞感を感じる。

https://m.youtube.com/watch?v=ko0DHDT7n4g

フェス文化が発展し、ロックがみんなで共有して楽しむ音楽に変容していった現在のシーンで、こんなに内向きなベクトルのアルバムを彼らがリリースするという意味合いを感じたし、予想通りセールスはふるわなかったけど、自分の心にはとても突き刺さった。間違いなく2019年を代表するアルバムだ。

今年のSWEET LOVE SHOWERではメインステージに立っており、そんなアルバムからもセットリストに入った曲があったりした。ライブ後には

「みんなが作ってくれた「フェスのNICO」と「最新のNICO」はずっと別物だと思っていたけど、そんなこともないんだな」

とツイートしていたし、バンドのみならず自分もそんなライブに手応えを感じていた。

まだまだNICOは懐かしいと言われるには早すぎる。これからもどんどん最高を更新していってくれる。
そう思っていたからこそ、

NICO Touches the Wallsが終了する」

というニュースは今でも信じられない。
たまたまスペシャでMVを見た日から、3秒間どころか7年近く彼らを追いかけてきた。もはや彼らは自分にとってのヒーローだ。この先も、ずっと自分の側にはNICO Touches the Wallsがいると思っていた。

悲しい。悲しいし、当分は信じられないけれど、連名でのコメントで彼らは

「さあ。『壁』はなくなった! 一度きりの人生、どこまでも行くよ!」

と締め括っている。彼らは未来に希望を抱いている。
新しい道へ進む彼らを、自分は応援するしかないのだろうか。

cinema staff BEST OF THE SUPER CINEMA JAPAN TOUR @梅田CLUB QUATTRO 2019/11/9

本記事には現在進行中のツアーのネタバレがございます。この先の閲覧は自己責任でお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年にデビュー10周年を迎え、来年は地元の岐阜で2日間にわたる自主企画を控えるcinema staff。9月にはインディーズ期とメジャー期に分けて2枚組ベストアルバムをリリースしており、このツアーはそのベストアルバムを引っ提げてのものだ。

自分が彼らを初めて知ったのは「望郷」の頃から。それから程なくして大型タイアップがついたことも含めて、ずっと彼らを追いかけ続けてきた。

しかしライブに関しては、彼らが大阪でライブをするときは謀ってるのかと思うぐらいほぼ毎回予定が被りまくっていて、これまで全く行くことができなかった。やっと去年のアルカラとのスプリットツアーで初めて見れたぐらいだ。もちろんワンマンは初めて。

 

開演時間丁度にフロアが暗転すると、SEに乗せて4人が一人ずつ登場。三島想平(Ba)はロンT、辻友貴(Gt)と久野洋平(Dr)はTシャツと動きやすそうな服装だが、飯田瑞規(Vo,Gt)はただ一人ベージュのジャケットを羽織っており、3人とは違って凛とした雰囲気を放っている。

そんな飯田が桃色の逆光に照らされながら

 

「行け 僕を放て 細いその目 開けたら新世界だ」

 

と歌い出すと、彼の合図で一気に照明が点き、「新世界」からライブが始まった。決して広くないクアトロのフロアが一気に開け放たれていくようなドラマチックな楽曲。ベストアルバムに収録されている新曲だが、最新のシネマが一番かっこいいということをこれでもかと証明しまくっている。

続いて「GATE」。残響ブームにあった当時のロックシーンにおいて、cinema staffの名を轟かせたきっかけとなった一曲だ。メンバーも勿論だが、サビを大声で歌うオーディエンス一人一人にとっても思い入れが深いことだろう。

 

「その孤独と手を取り合う あなたはとても美しい。

 でも、未来と手を取り合うあなたは更に美しいでしょう。」

 

というフレーズを考えついた三島は本当に天才だと思うし、彼の紡ぐ言葉がとても大好きなのだが、そんなフレーズを合図に疾走するサウンドに切り替わる「望郷」をはじめとして、彼らは故郷への思いが込められた楽曲がとても多い。この日のMCでも来年に開催するOOPARTSの宣伝をし、飯田が

 

「今年できなかった分パワーアップしてます。岐阜の伝説になるかも……」

 

と自信を覗かせていたほど。そう言われると、いつか彼らの出身である岐阜にも行ってみたいと思わせてくれる。

 

辻のエッジィなギターを皮切りに「白い砂漠のマーチ」でさらに勢いづけると、「daybreak syndrome」「君になりたい」と懐かしい楽曲が続く。

飯田の煽りから飛び込んだ「西南西の虹」は自分がcinema staffを知ったきっかけになった曲だ。とびっきりノイジーなのだが、そんな轟音の最中にいても飯田の歌は楽曲の芯となり、一筋の道標のように響いてくる。これこそがcinema staffの強みだ。

間髪入れずに

 

「俺達に奇跡はいらない!」

 

と「奇跡」では今日この日の思い出を茜色に染め上げる。何もかもをかなぐり捨てていく衝動性を生み出しているのは、久野のキレキレのドラムを軸とした爆発力のあるサウンドだ。

更にこの曲では中盤に辻がドラムスローンを持ち出し、飯田の隣に設置して座り込むという場面も。4人の中で一番自由奔放なステージングをしている彼だが、そんな彼の突然の行動をスタッフは顔を綻ばせながら見守っていて、チームの空気の良さを感じることができた。

 

MCではベストアルバムの話題になり、österreichの高橋國光と共作した「斜陽」の話へ。飯田が山中湖で行われたレコーディングの様子を

 

「楽しかったよね」

 

とメンバーにも共感を求めるも、なぜか全員と目が合わず、会場が微妙な空気になる。それで動揺したのか、飯田がキーボードを弾く次の「Name of Love」では伴奏がミスしまくって一部がアカペラになってしまっていた(その後にはちゃんと久野と相互で「ごめん」と謝りあっていた)。でもこういう狂いがあるのがロックバンドのライブだし、「珍しいな」って感じで笑い飛ばせるのもロックバンドならではだな、とも思うわけで。

 

その後はちゃんと調子を取り戻し、「制裁は僕に下る」「シンメトリズム」と初期のダウナーな楽曲が続く。飯田の美しい歌声はこういう内省的な世界観もすごく似合うし、「新世界」やこの後に演奏された「HYPER CHANT」のようなスケールの広い楽曲を凛としたメロディで彩ったりもする。本当に類い稀なボーカリストだな、と思うし、そんな彼を活かしまくっている三島の楽曲群も本当に素晴らしい。

 

久野の弾幕のようなドラミングが高揚感を煽る「優しくしないで」、「第12感」を経て、MCではいつもより男性客が多いことに触れつつ、

 

「みんなのおかげでロックバンドやれてます、ありがとう」

 

と感謝を告げる。今でこそベストアルバムというのは年にたくさんのアーティストが趣向を凝らしながらリリースしてきているが、当然のことながらベストアルバムをリリースするというのは簡単なことではない。そもそも数々のロックバンドがこうしてライブを続けてこれていること自体が奇跡に近いのに、コンスタントに最新の音源をリリースし、その度にちゃんとそれまでの自分達を超えていったという自信が積み重っていなければ至ることができないポイントでもあるわけで。そこにcinema staffも到達したということが本当に嬉しいし、バンドを続けてくれてありがとう、とこちらこそ感謝を告げたくなる。

 

「自分のために歌ってくれ!」

 

と「HYPER CHANT」でシンガロングを巻き起こすと、ラストスパートは最初期のアルバムに収録されている「AMK HOLLIC」から。ここまであまり立ち振舞いに感情を乗せてこなかった飯田が、衝動的なサウンドに乗っ取られたかのようにギターをかき乱す。ボーカルもがなり気味だし、彼は一度火が点くと抑制しきれない、本当はアツいタイプのボーカリストなのだろうか。

 

「俺達がスーパーロックバンド、cinema staffだ!!」

 

と三島がシャウトしたのはスーパーロックバンドのテーマソング、「theme of us」。前のMCで飯田は

 

「これだけ世の中にロックバンドが溢れてる中で、よく見つけてくれたね!」

 

と語っていたが、そんなMCを経て聞く

 

「僕はあの日に曲がり角を曲がらなくて だけど今の僕もそんなに悪くないな」

 

というフレーズはいつも以上にグサリと突き刺さる。一瞬の選択の積み重ねでこうしてcinema staffに出会えたことが本当に嬉しいし、ベストアルバムをリリースするまで追いかけてこられたこともとても幸せなことだな、と感じられた。

 

最後はツアーにも帯同している高橋國光を3人目のギタリストに迎え(しかもポジションはセンター)、

 

「この曲が生まれたことでいろんなことが精算できた」

 

という「斜陽」を披露。あのベストアルバムの曲順で聴いてもそうだし、この曲を聴くとどうしても胸が苦しくなる。自分の内側に、自覚はないけれど確かに自分自身が重ねてきた思い出に支えられているような感覚が生まれる。

その思い出の正体を掴むことはできないけれど、そこから溢れてくる暖かさにどうしようもなく涙が流れそうになる。

冒頭の「新世界」もそうだったが、これもまたシネマの最新曲。つまり彼らはまだまだ古くなる存在ではないし、これからもずっと最高を更新し続けてきてくれるだろうな、という予感を感じられた。

 

アンコールでは久野と飯田がハイネケンを開けつつ、高橋も再び登場。

 

「ツアー2公演目だけど、千葉の時は僕らより早く会場入りしてた」

 

と三島も語っていたが、メディアやライブなどの露出がほぼないにも関わらず、高橋國光という人物は本当に愛されているな、というのをメンバーとのやり取りから感じた。

自分はthe cabsのことはあまり知らないが(plentyに中村一太が加入したときに「すごいドラマーが入ってきた」と感じたのが初見)、自分の後ろにいた人達はライブが始まるまで元cabsの首藤義勝が活動しているKEYTALKの話をしていたし、これだけ支持を集めているのには理由があるはず。今日のライブを通してcabsも聴いてみようかな、と思わせてくれた。

そんな穏やかな雰囲気のアンコールはösterreich名義でリリースされ、飯田がボーカルをつとめた「楽園の君」から。今日のセトリの中で唯一ベストアルバムに収録されていない楽曲だったが、この選曲からも高橋への愛が感じられた。

最後は

 

「偽物だって構わない!俺達には今しかない!」

 

と飯田が前半のクールさはどこへやら、といった叫びから「first song(at the terminal)」へ。もちろんこの曲も高橋がギターを弾き、ただでさえ鋭利なシネマのサウンドがより強靭になる。

 

「もっとたくさんの人にシネマを知ってほしい」

 

と自慢げに語っていた三島の目はすごく輝いていたし、きっとこの場にいる誰もが同じ事を感じているはずだ。

だからこそ、2019も2020も、その先も、ずっとダイヤモンドを磨き続けていってほしい、と思うのだ。

Official髭男dism Tour 19/20 -Hall Travelers- @グランキューブ大阪 201911/1

※本記事には現在進行中のツアーのネタバレがございます。この先の閲覧は自己責任でお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて聴いたのはたしか「What's Going on?」か「犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう!」だったか。正直なことを言うと、その時のヒゲダンはテレビで紹介されることもあれど(たしかメジャーデビュー以前に関ジャムで「ゼロのままでいられたら」が絶賛されていた。今思えば先見の明があったなあ)、なんかパッとしないなあ、と思っていた。

転機が訪れたのは昨年10月。FM802で聴いた「Stand By You」のフックに惹かれ、「Stand By You EP」を聴いた。そこで自分がヒゲダンに抱えていたイメージが一気にひっくり返された。こんなに豊潤な音楽性を持っているバンドだとは想像もしていなかったし、まさに

 

「結果1発で180度 真っ白な歓声に変わるぞ」

 

という言葉が現実になったのである。

そこからのヒゲダンの爆進っぷりは説明するまでもないだろう。来年3月には大阪城ホールを含むアリーナツアーが決まっているなど、名実ともにスターダムへ駆け上がった。そしてここまでヒゲダンが支持を集めるようになったのは、先述したようなフックの効いたフレーズが多用されるようになったこととは無関係ではないだろう。ヒゲダンはただのポップスでは終わらないバンドだった。

 

そんなヒゲダンがグランキューブ大阪にやって来た。今日は2daysの初日。実はメジャーデビュー以前からひっきりなしにツアーを行っている、バリバリのライブバンドであるだけに、期待せざるを得ない。

 

開演時間を少し過ぎた頃、およそロックバンドのコンサートのものとは思えない厳かな深紅の幕が上がると、既にメンバーはスタンバイしており、その佇まいを見据えた人から大歓声を上げていく。1曲目は「イエスタデイ」。雄大なストリングスがこれから始まる旅の前夜の高鳴りを思わせる演出は、最新アルバム「Traveler」と同じ流れだ。最初は鳴っていた手拍子もいつの間にか止み、誰もが藤原聡(Vo,Piano)の歌声に酔いしれているようだった。

続いてホーン隊も登場し、

 

「走り出せ フリーダム」

 

と「Amazing」で火をつける。音源ではエレクトロな印象のあるこの曲だが、やはりライブとなると小笹大輔(Gt)の重厚なリフと松浦匡希(Dr)の生のビートが合わさってよりヘビーな印象を与えてくれる。

「Tell Me Baby」ではやはり長尺のセッションパートも加わり、小笹と楢崎誠(Ba)が同時にお立ち台に登壇するなど、臨場感のある演奏で会場を呑み込んでいった。

 

「久しぶりの大阪で今のヒゲダンをしっかり見せたいと思います」

 

と挨拶すると、「115万キロのフィルム」でハッピーなムードに…かと思いきや、流れるように

 

「笑っちまうよな」

 

とドスのきいた歌で「バッドフォーミー」、「Rowan」と続ける。幸せのてっぺんから一気にどん底へ突き落とすような流れを見ると、やっぱりヒゲダンはいい子じゃないんだなあ、と感じられる。

しかしその後は再び「ビンテージ」で温かなムードを取り戻す。この曲もそうだが、ヒゲダンの楽曲は今という瞬間にフォーカスした楽曲はそれほど多くない。これから訪れる未来や人生が明るくなるように、という願いが込められている楽曲群は、きっとこれから時間が経てば経つほど味が出てくるのだろう。

 

「ここから後半戦、みんなで楽しんでいきませんか!」

 

と会場に発破をかけると、とびきりポップな「最後の恋煩い」ではハンドクラップを促す。少し間が空いて、楢崎がバックバンドのサックス担当と二人っきりになり、「ゼロのままでいられたら」をサックスソロでしっとりと演奏。そのままベースをバックに任せ、楢崎がサックス、さらにはボーカルとして前に躍り出る「旅は道連れ」へ転がっていく。この曲では小笹もボーカルを担当したり、松浦が合いの手を入れたりしているのだが、ヒゲダンは本当に4人とも歌が上手い。小笹は前半はマーチングバンドのように太鼓を叩いていたなど、マルチプレイヤーっぷりも健在だ。

「ブラザーズ」 では楢崎がバックバンドを前方に呼び込み、サビのリズムに合わせてステップを踏む。松浦のドラムソロが挟まれたり、藤原が音楽隊のようにメンバーを引き連れたりとハイライトの多い楽曲だが、ステージにいる全員が笑顔で、心の底から音楽を楽しんでいる様子が伝わってくるし、それが客席に伝搬していってるのもわかる。

 

一旦暗転し、アメリカっぽい煽りが静寂を突き破ると、ヒゲダンで最もハードな「FIRE GROUND」が高らかに鳴らされる。開演前には今日再結成が発表されたMy Chemical Romanceが流れていた(もしかしたら「Pretender」の歌詞とも掛けていたんだろうか)が、藤原や小笹は元々はこういうハードな音楽を趣向していた関係。そんな二人のルーツがふんだんに発揮されたナンバーだが、やはりこの曲の主役は小笹。

 

「うちのギターを聴けー!」

 

と楢崎が号令をかけると、ステージ中央で片膝をつきながらメタラーばりの高速フレーズを連発する小笹はまさにギターヒーロー

 

「大阪まだまだいけるよな!?」

 

とテンションはそのままにホーンアレンジが豪勢に彩る「ノーダウト」をぶっ放つと、さらに「Stand By You」でもホーン隊を組み込んだアレンジを披露。もちろん手拍子もコール&レスポンスもバッチリだ。最後には客電も灯り、会場と共に我々の心までパッと明るくなったようだった。

 

メンバーに一人ずつスポットライトが当たり、丁寧に始まったのは「Pretender」。ヒゲダンという存在を多くの人に知らしめた名曲中の名曲なのだが、最新アルバムを聴けば、彼らが売れたきっかけは「Pretender」だけではないことが分かると思う。もう去年の時点で彼らのポップセンスは覚醒モードに突入していたし、「Pretender」はその過程にたまたまリリースされていたに過ぎなかったと。オレンジの光が会場を照らす様子は、きっとアリーナで聴いたらさらにスケールアップしているんだろうな、と予感させた。

最後は

 

「今日が終わるのが悲しいから 朝日よ2度と出てこないで」

 

とバンドの切実な思いが放たれる「ラストソング」。上述した歌詞だけを見ると悲嘆的な楽曲なのか、と思ってしまうが、歌詞と正反対にサウンドは夜明けをイメージさせる温かなムード。

確かに今日が終わるのは悲しい。けれど朝日が昇るからこそ、我々はまた会うことができる。そんな真逆の感情を実に見事に表現した楽曲だった。アウトロが流れながら深紅の幕が下りてくる様は、ヒゲダンと我々が否応なしに引き離される切なさもあったけれど、どこか希望を含ませられる余地のある、そんな終わり方だった。

 

ある意味ロックバンドっぽくない、ドラマチックな締め方をされたライブは、アンコールで再び幕が上がって早速曲が始まるという形で再開。かなりラフな格好になった4人は、「愛なんだが…」とここに来て1stミニアルバムの収録曲を披露。もちろん喜んでいた人もたくさんいたが、

 

「この曲知ってる人?」

 

と藤原が聞くとそんなに手は上がっていなかった。アルバムのリリースツアーとはいえ、こういうことが続くと昔の曲はどんどんやらなくなっていくんだろうか。

 

MCでは来年3月に大阪城ホールでライブをすることにも触れ、サカナクションのワンマンの時に城天でストリートライブをしていたということを告白(知らない人のために説明すると、大阪城ホールの前には長いストリートがあり、大阪城ホールでのライブがある日にはライブ帰りのお客さんをどうにか捕まえようとたくさんのアーティストが路上ライブをやっている。SCANDALとかは城天出身として有名)。そして自分達も憧れていた舞台にようやく立つことができる喜びを爆発させていた。

 

小笹や楢崎も忙しなくステージを動き回り、サイドステップのリズムを伝搬させていった「異端なスター」を経て、

 

「大阪といえばこの曲歌わなあかんやろ!」

 

と最後は客電を灯したところに「宿命」を投下して鮮やかにフィニッシュ。

 

「明日があるなんて考えていないです!」

 

と絶叫する藤原の歌もそうだが、本当にヒゲダンは音楽に対して、そして我々リスナー一人一人に対してとんでもなく誠実な姿勢で向き合っているバンドだな、と再認識する。だからこそ、彼らの曲は自分の心に届いた、と感じさせられる。曲を終えて名残惜しそうに去るメンバーの姿からも、そんな彼らの誠実さが垣間見えていた。

 

今後、ヒゲダンはもっともっと日本中に愛されるバンドになるであろう、という確信を持つことができた。しかもただ愛されるだけじゃなく、長い年月を通して愛されるバンドになるであろう、と。

 

それはもちろん楽曲の質が素晴らしい、ということもあるけれど、こうやってライブを見れば、いい人達がいい曲を鳴らしているからこそである、ということが一目瞭然なのだ。当たり前だが、こういうバンドこそが評価されるべきだと本当に思うし、ヒゲダンに仮に「ノーダウト」や「Pretender」といったセンセーショナルな楽曲がなかったとしても、売れるべくして売れたバンドであるのだな、とも思えてしまう。

 

これはもう大阪城ホールも行くしかないし、これからもライブに通い続けるしかない。そんな一日だった。ヒゲダンとは長い付き合いになりそうだ。今日の思い出もビンテージ、なんて言えるまで、これからもよろしく。

ずっと真夜中でいいのに。潜潜ツアー(秋の味覚編)@Zepp Namba 2019/10/30

※本記事には現在進行中のツアーのネタバレがございます。この先の閲覧は自己責任でお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ本日10/30に1stフルアルバム「潜潜話」をリリースし、勢いが加速しまくっているずっと真夜中でいいのに。。まだ数えるほどしかライブをやっていないのにもう既に確固たる地位を築きつつある、一言でいえばとんでもないアーティストだ。

そんなずとまよは現在、自身最長&最多ツアーの真っ最中。大阪会場は前回のBIGCATから3倍クラスのキャパを誇るZepp Nambaとなったが、当然のごとくチケットはソールドアウト。最早Zeppですらキャパが足りない状態になっている。

 

何度も訪れているはずのZepp Nambaだが、フロアに入った途端、まるで初めて来る場所を訪れたかのような感覚になった。ステージ上方には金属でできたプランターのような照明がぶら下がり、後方はこれもまた金属にうねる物体が絡みついているセット。中心には秋らしく、炬燵の上にツアータイトルにもなっている「秋の味覚」らしきものが置かれている。他にもびっくりチキンや時間のずれた時計など、目を引くものが幾つも配置され、それらの一つ一つが非日常感を醸し出している。

開演時間になると、まずはドラマーと、フジロックでも共演していたOpen Reel Ensembleが登場。このOpen Reel Ensembleが奏でるサウンドが実に変幻自在で、DJのようにスクラッチをしたり、サンプリングされた音に次々と奇妙なエフェクトをかけたりと、会場を呆気に取らせる。

 

続いてドラムのリズムに合わせてバンドメンバーが登場すると、最後に

 

「こんばんは」

 

と呟いて、炬燵の中から大歓声を浴びながらACAねが現れた。

すぐさまカセットテープが挿入される音を合図に始まったのは「脳裏上のクラッカー」。真っ赤なカーテンのような照明がステージを鮮やかに染める中で、やはり目を引くのはACAねの歌声。CD音源と間違うほどの正確さ。そして声量も、バンドの音に全然負けていない。しかも最後のサビ前には音源以上のロングトーンを響かせ、会場のボルテージを引き上げていく。こんな才覚のボーカリストが一体今までどこに隠れていたんだ。

もちろんACAねの歌声も素晴らしいのだが、バンドサウンドも負けず劣らずで素晴らしい。そこにOpen Reel Ensembleが音源とは違った細かなサウンドを演出し、まるで非の打ち所がない。

 

「勘冴えて悔しいわ」でも想像以上の演奏に圧倒される中、ACAねがギターを抱えて始まったのは「ハゼ馳せる果てるまで」。

ずっと真夜中でいいのに。はACAねがボーカルをつとめているということ以外のプロフィールは完全に伏せられている。当のACAねも顔出しをしていない為、ライブにおいては照明も絶妙な角度で顔が見えないようになっている。歌詞も決してわかりやすい部類ではなく、遠回りな言い回しが多いように感じるが、

 

「簡単に正解 ばらまかないでね」

 

というこの曲のフレーズはそんなずとまよの秘密主義っぷりが顕著に現れていると感じた。

ネットで探せばどんな答えも容易く見つかってしまう現代において、「秘密」がもたらすエネルギーの強さをずとまよは知っているし、今日ここに集まった人達は、そんな「秘密」を共有したいという魔力に引き寄せてきたのだろうな、とも感じる。

 

MCでは今日ついにアルバムがリリースされたことを喜んだACAね。そのアルバムから「居眠り遠征隊」、さらに

 

「でぁーられったっとぇん」

 

と怠惰な空気が漂うイントロから突き抜けるサビが爽快な「こんなこと騒動」ではACAねは足を蹴り上げながら歌う。ライブ全体を通してあまり激しい動きはしなかった彼女だが、その分感情の全てを歌に込めていると感じられる。

 

再びOpen Reel Ensembleが登場すると、「君がいて水になる」でライブはローファイなゾーンへ。ACAねの歌声は少女のようでありながら大人びた女性のようでもあるし、逞しく響かせているようで助けを求める弱々しい声のようでもある。まるで水のように不確かな歌声だ。

祭囃子の音頭に合わせてハンドクラップが巻き起こると、ACAねを含めたステージの全員がお面を被り、ずとまよのグッズではお馴染みのしゃもじ(今回のツアーは目玉焼きカラー)を掲げてハンドクラップならぬ‘しゃもじ’クラップに転換させると、ACAねが白装飾を羽織って「彷徨い酔い温度」へ。ずとまよの音楽はルーツが本当に謎なのだが、こういう曲を聴くと作曲者のACAねが和のメロディにも通じていることがよくわかる。

 

この「彷徨い酔い温度」もそうだが、ずとまよの楽曲はアーティスト名からも「真夜中」のイメージが強いし、眠れない夜に部屋の隅でこっそりイヤホンをかけて聴いているようなミニマムさがある。それはつまり、限りなく1対1に近い形態でコミュニケーションが行われているということ。ライブにおいては大勢の前で歌ってはいるものの、ACAねの歌声は自分にのみ集中されている、という感覚は、音源でもライブでも同じだった。

 

するとここでACAねとバックのベーシストがグラスを掲げ、カランとグラスを合わせると色が変わるというイリュージョンを披露(当てていなくても色が変わっていたけど)。その間にいつの間にかセッティングされていたソファーに深く腰を下ろすと、一昨日のYouTube Liveでも披露されていた「グラスとラムレーズン」へ。無機質なサウンドに乗せてだらりと振る舞うACAねの所作が、この楽曲の印象をより深くしていた。

そしてソファーに座ったまま、

 

「緑色 囲まれた この空間からはみ出したら負けだ」

 

という歌詞に合わせて緑の照明が貫くバラード「Dear Mr「F」」を歌うのだが、何かと色んな音を重ねがちなずとまよには珍しく、この曲はピアノの伴奏しかない分、ACAねのボーカルがいかに起伏に富んでいるかをたっぷり感じ取ることができた。

 

「どこに居ても もう答えが無いな」

 

という気持ちは、この場にいた人達ならきっと思い当たる節があるだろう。

 

「この曲は前が見えないぐらい必死な時期に作った曲なんです」

 

とACAねが「Dear Mr「F」」について解説すると、

 

「初期からライブでやってて、少しずつ歌詞を変えてきたりして。嫌になる時期もあったけれど、こうしてアルバムに収録されて、改めて聴き返してみるととても前向きな曲だなって思います。次の曲も前向きな曲です」

 

と「蹴っ飛ばした毛布」へ続ける。サビが終わった途端に耳をつんざくような轟音が鳴り響く様は、音源のイメージとは想像以上で少し驚いたが、こういう静と動のギャップがうまく表現できるのもライブならではだ。

 

ここからはそんなライブならではのアレンジがふんだんに盛り込まれた楽曲が続いた。まずは「眩しいDNAだけ」。最初の

 

「工場の煙で~」

 

の部分が置き換えられ、アレンジされた歌詞が書かれた紙はくしゃくしゃに丸められて客席へ放り込まれていった。さらに間奏では

 

「後で洗って食べて下さい」

 

と栗などを投げ込むだけでなく、ラストのサビ前にはまたしてもロングトーンを披露する場面も。ライブももう終盤に差し掛かろうとしているが、ACAねの声は全く疲れを見せていない。本当に凄まじいボーカリストだ。

続いて「サターン」では照明も相まって一気にディスコ色が強くなるのだが、そんな中においても楽曲のどこかに陰りが見え隠れしているのがずとまよらしい。曲の終盤には生演奏が打ち込みにシフトし、

 

「一緒に踊りませんか」

 

とACAねが楽器を置いたバンドメンバーと共に踊る。まるで誰にも明かすことなく、ひっそりと踊っているかのようで、「秘密」の魔力がよりいっそう強くなる。

一音目から大歓声を起こした「ヒューマノイド」ではリズミカルで疾走感のあるメロディが会場のテンションを否応なしに引き上げ、静から動へダイナミックに移り変わる「マイノリティ脈絡」へ繋げる。この曲では初めてACAねがステージの端から端までを歩き回り、それぞれの反応を窺っているようだった。

 

「最後に、正義を」

 

と本編最後は「正義」。ACAねが指揮者のようにバックの演奏を自在に操った後は、牧歌的なサウンドに真っ白な照明が映えるメロディで会場を思い思いに踊らせる。中盤には各メンバーのソロ回しが入るのだが、ギタリストの人はギターソロの後にバイオリンに持ち替えるというマルチプレイヤーっぷり。さすがこの盤石なサウンドを支えているだけあるし、演奏にも隙がないということをまざまざと見せつけていた。

 

アンコールに応えて再登場すると、ピアノとOpen Reel Ensembleを迎えて「優しくLAST SMILE」をぽつりぽつりと歌い上げる。

 

「ずとまよ 借りパク きなこもち」

 

とACAねの声がサンプリングされるなど、これもまたライブならではのアレンジが施された楽曲。そして「LAST SMILE」とか「good-bye」の発音がとてもいい。

 

「今日はこれから梨を剥きたいと思います」

 

と唐突にステージ上で梨を剥き始めると、「ちょうだーい!」と客席から声が上がる。剥き終わった梨をACAねが頬張った際には「おいしいー?」と聞いたりと、この辺は大阪ならでは(ACAねは返答に困っていたようだったけど)。

 

そしてやはり最後に歌われたのは「秒針を噛む」。ずとまよが大阪でライブを行うのはまだ2回目だし、今日初めてライブを見る人も多かっただろう。その中には、自分と同じようにこの曲がきっかけでずとまよに会えた人もたくさいるかもしれない。だからこそ、特にこの曲はリアルタイムで鳴らされるサウンドや歌声の一つ一つが突き刺さるように響いた。

サビ前のシンガロングは客席の声が大きすぎてACAねも驚いていたが、当のACAねもライブ序盤と全く変わらないほど伸びやかな歌声で歌っている。

真っ白な後光に包まれてメンバーが退場すると、会場左側に置いてあり、ここまで一切使用されていなかったスクリーンにバンドメンバーの紹介を含めたエンドロールが流れ、ライブは幕を降ろした。

 

ライブというのはやはり生身の身体から鳴らされる音楽を感受できる場であるので、アーティストの新たな一面に気づくことができる。しかし、今日のライブを終えても、ずとまよのことは全然わからなかった。

それは顔が見えない、とかそういう表面的な情報も含まれるが、それ以上に楽曲やACAねの仕草一つ一つが、何とも言葉に形容し難い曖昧さを伴っていた。そう思わせてくれるのは、先述したずとまよの「秘密主義」ゆえだろうけど。

ただ一つ確かだったのは、大阪では大きい方のライブハウスで、スタンディングエリアで大勢の人に囲まれて音楽を聴いていたのに、自分にだけ歌ってくれているような感覚がしたということ。約2時間、音楽を使った1対1のコミュニケーションを通じて、ACAねと心のどこかで通じ合えた気がした。

またライブに行かなければ。そう思えるライブだった。きっと明日になっても忘れてしまえないな。