ずっと真夜中でいいのに。潜潜ツアー(秋の味覚編)@Zepp Namba 2019/10/30

※本記事には現在進行中のツアーのネタバレがございます。この先の閲覧は自己責任でお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ本日10/30に1stフルアルバム「潜潜話」をリリースし、勢いが加速しまくっているずっと真夜中でいいのに。。まだ数えるほどしかライブをやっていないのにもう既に確固たる地位を築きつつある、一言でいえばとんでもないアーティストだ。

そんなずとまよは現在、自身最長&最多ツアーの真っ最中。大阪会場は前回のBIGCATから3倍クラスのキャパを誇るZepp Nambaとなったが、当然のごとくチケットはソールドアウト。最早Zeppですらキャパが足りない状態になっている。

 

何度も訪れているはずのZepp Nambaだが、フロアに入った途端、まるで初めて来る場所を訪れたかのような感覚になった。ステージ上方には金属でできたプランターのような照明がぶら下がり、後方はこれもまた金属にうねる物体が絡みついているセット。中心には秋らしく、炬燵の上にツアータイトルにもなっている「秋の味覚」らしきものが置かれている。他にもびっくりチキンや時間のずれた時計など、目を引くものが幾つも配置され、それらの一つ一つが非日常感を醸し出している。

開演時間になると、まずはドラマーと、フジロックでも共演していたOpen Reel Ensembleが登場。このOpen Reel Ensembleが奏でるサウンドが実に変幻自在で、DJのようにスクラッチをしたり、サンプリングされた音に次々と奇妙なエフェクトをかけたりと、会場を呆気に取らせる。

 

続いてドラムのリズムに合わせてバンドメンバーが登場すると、最後に

 

「こんばんは」

 

と呟いて、炬燵の中から大歓声を浴びながらACAねが現れた。

すぐさまカセットテープが挿入される音を合図に始まったのは「脳裏上のクラッカー」。真っ赤なカーテンのような照明がステージを鮮やかに染める中で、やはり目を引くのはACAねの歌声。CD音源と間違うほどの正確さ。そして声量も、バンドの音に全然負けていない。しかも最後のサビ前には音源以上のロングトーンを響かせ、会場のボルテージを引き上げていく。こんな才覚のボーカリストが一体今までどこに隠れていたんだ。

もちろんACAねの歌声も素晴らしいのだが、バンドサウンドも負けず劣らずで素晴らしい。そこにOpen Reel Ensembleが音源とは違った細かなサウンドを演出し、まるで非の打ち所がない。

 

「勘冴えて悔しいわ」でも想像以上の演奏に圧倒される中、ACAねがギターを抱えて始まったのは「ハゼ馳せる果てるまで」。

ずっと真夜中でいいのに。はACAねがボーカルをつとめているということ以外のプロフィールは完全に伏せられている。当のACAねも顔出しをしていない為、ライブにおいては照明も絶妙な角度で顔が見えないようになっている。歌詞も決してわかりやすい部類ではなく、遠回りな言い回しが多いように感じるが、

 

「簡単に正解 ばらまかないでね」

 

というこの曲のフレーズはそんなずとまよの秘密主義っぷりが顕著に現れていると感じた。

ネットで探せばどんな答えも容易く見つかってしまう現代において、「秘密」がもたらすエネルギーの強さをずとまよは知っているし、今日ここに集まった人達は、そんな「秘密」を共有したいという魔力に引き寄せてきたのだろうな、とも感じる。

 

MCでは今日ついにアルバムがリリースされたことを喜んだACAね。そのアルバムから「居眠り遠征隊」、さらに

 

「でぁーられったっとぇん」

 

と怠惰な空気が漂うイントロから突き抜けるサビが爽快な「こんなこと騒動」ではACAねは足を蹴り上げながら歌う。ライブ全体を通してあまり激しい動きはしなかった彼女だが、その分感情の全てを歌に込めていると感じられる。

 

再びOpen Reel Ensembleが登場すると、「君がいて水になる」でライブはローファイなゾーンへ。ACAねの歌声は少女のようでありながら大人びた女性のようでもあるし、逞しく響かせているようで助けを求める弱々しい声のようでもある。まるで水のように不確かな歌声だ。

祭囃子の音頭に合わせてハンドクラップが巻き起こると、ACAねを含めたステージの全員がお面を被り、ずとまよのグッズではお馴染みのしゃもじ(今回のツアーは目玉焼きカラー)を掲げてハンドクラップならぬ‘しゃもじ’クラップに転換させると、ACAねが白装飾を羽織って「彷徨い酔い温度」へ。ずとまよの音楽はルーツが本当に謎なのだが、こういう曲を聴くと作曲者のACAねが和のメロディにも通じていることがよくわかる。

 

この「彷徨い酔い温度」もそうだが、ずとまよの楽曲はアーティスト名からも「真夜中」のイメージが強いし、眠れない夜に部屋の隅でこっそりイヤホンをかけて聴いているようなミニマムさがある。それはつまり、限りなく1対1に近い形態でコミュニケーションが行われているということ。ライブにおいては大勢の前で歌ってはいるものの、ACAねの歌声は自分にのみ集中されている、という感覚は、音源でもライブでも同じだった。

 

するとここでACAねとバックのベーシストがグラスを掲げ、カランとグラスを合わせると色が変わるというイリュージョンを披露(当てていなくても色が変わっていたけど)。その間にいつの間にかセッティングされていたソファーに深く腰を下ろすと、一昨日のYouTube Liveでも披露されていた「グラスとラムレーズン」へ。無機質なサウンドに乗せてだらりと振る舞うACAねの所作が、この楽曲の印象をより深くしていた。

そしてソファーに座ったまま、

 

「緑色 囲まれた この空間からはみ出したら負けだ」

 

という歌詞に合わせて緑の照明が貫くバラード「Dear Mr「F」」を歌うのだが、何かと色んな音を重ねがちなずとまよには珍しく、この曲はピアノの伴奏しかない分、ACAねのボーカルがいかに起伏に富んでいるかをたっぷり感じ取ることができた。

 

「どこに居ても もう答えが無いな」

 

という気持ちは、この場にいた人達ならきっと思い当たる節があるだろう。

 

「この曲は前が見えないぐらい必死な時期に作った曲なんです」

 

とACAねが「Dear Mr「F」」について解説すると、

 

「初期からライブでやってて、少しずつ歌詞を変えてきたりして。嫌になる時期もあったけれど、こうしてアルバムに収録されて、改めて聴き返してみるととても前向きな曲だなって思います。次の曲も前向きな曲です」

 

と「蹴っ飛ばした毛布」へ続ける。サビが終わった途端に耳をつんざくような轟音が鳴り響く様は、音源のイメージとは想像以上で少し驚いたが、こういう静と動のギャップがうまく表現できるのもライブならではだ。

 

ここからはそんなライブならではのアレンジがふんだんに盛り込まれた楽曲が続いた。まずは「眩しいDNAだけ」。最初の

 

「工場の煙で~」

 

の部分が置き換えられ、アレンジされた歌詞が書かれた紙はくしゃくしゃに丸められて客席へ放り込まれていった。さらに間奏では

 

「後で洗って食べて下さい」

 

と栗などを投げ込むだけでなく、ラストのサビ前にはまたしてもロングトーンを披露する場面も。ライブももう終盤に差し掛かろうとしているが、ACAねの声は全く疲れを見せていない。本当に凄まじいボーカリストだ。

続いて「サターン」では照明も相まって一気にディスコ色が強くなるのだが、そんな中においても楽曲のどこかに陰りが見え隠れしているのがずとまよらしい。曲の終盤には生演奏が打ち込みにシフトし、

 

「一緒に踊りませんか」

 

とACAねが楽器を置いたバンドメンバーと共に踊る。まるで誰にも明かすことなく、ひっそりと踊っているかのようで、「秘密」の魔力がよりいっそう強くなる。

一音目から大歓声を起こした「ヒューマノイド」ではリズミカルで疾走感のあるメロディが会場のテンションを否応なしに引き上げ、静から動へダイナミックに移り変わる「マイノリティ脈絡」へ繋げる。この曲では初めてACAねがステージの端から端までを歩き回り、それぞれの反応を窺っているようだった。

 

「最後に、正義を」

 

と本編最後は「正義」。ACAねが指揮者のようにバックの演奏を自在に操った後は、牧歌的なサウンドに真っ白な照明が映えるメロディで会場を思い思いに踊らせる。中盤には各メンバーのソロ回しが入るのだが、ギタリストの人はギターソロの後にバイオリンに持ち替えるというマルチプレイヤーっぷり。さすがこの盤石なサウンドを支えているだけあるし、演奏にも隙がないということをまざまざと見せつけていた。

 

アンコールに応えて再登場すると、ピアノとOpen Reel Ensembleを迎えて「優しくLAST SMILE」をぽつりぽつりと歌い上げる。

 

「ずとまよ 借りパク きなこもち」

 

とACAねの声がサンプリングされるなど、これもまたライブならではのアレンジが施された楽曲。そして「LAST SMILE」とか「good-bye」の発音がとてもいい。

 

「今日はこれから梨を剥きたいと思います」

 

と唐突にステージ上で梨を剥き始めると、「ちょうだーい!」と客席から声が上がる。剥き終わった梨をACAねが頬張った際には「おいしいー?」と聞いたりと、この辺は大阪ならでは(ACAねは返答に困っていたようだったけど)。

 

そしてやはり最後に歌われたのは「秒針を噛む」。ずとまよが大阪でライブを行うのはまだ2回目だし、今日初めてライブを見る人も多かっただろう。その中には、自分と同じようにこの曲がきっかけでずとまよに会えた人もたくさいるかもしれない。だからこそ、特にこの曲はリアルタイムで鳴らされるサウンドや歌声の一つ一つが突き刺さるように響いた。

サビ前のシンガロングは客席の声が大きすぎてACAねも驚いていたが、当のACAねもライブ序盤と全く変わらないほど伸びやかな歌声で歌っている。

真っ白な後光に包まれてメンバーが退場すると、会場左側に置いてあり、ここまで一切使用されていなかったスクリーンにバンドメンバーの紹介を含めたエンドロールが流れ、ライブは幕を降ろした。

 

ライブというのはやはり生身の身体から鳴らされる音楽を感受できる場であるので、アーティストの新たな一面に気づくことができる。しかし、今日のライブを終えても、ずとまよのことは全然わからなかった。

それは顔が見えない、とかそういう表面的な情報も含まれるが、それ以上に楽曲やACAねの仕草一つ一つが、何とも言葉に形容し難い曖昧さを伴っていた。そう思わせてくれるのは、先述したずとまよの「秘密主義」ゆえだろうけど。

ただ一つ確かだったのは、大阪では大きい方のライブハウスで、スタンディングエリアで大勢の人に囲まれて音楽を聴いていたのに、自分にだけ歌ってくれているような感覚がしたということ。約2時間、音楽を使った1対1のコミュニケーションを通じて、ACAねと心のどこかで通じ合えた気がした。

またライブに行かなければ。そう思えるライブだった。きっと明日になっても忘れてしまえないな。